huanhuanのブログ

不安神経症

不安神経症者の内面心理 


不安神経症の恐怖というのは、
自分でもわけがわからない、適当な表現も見つからない、だけど何かもの
すごく危険きわまりない、とてつもない膨大なエネルギーが、


誰にも言えず、どの本にもネットにも誰も書いてない奇妙な症状や、
どうにも割り切れない、やるせない積年の苦しい感情や、
自分を激しく嫌い憎み貶める傾向や、罪悪感などと不可分に混ざり合い、


なんら益するところがないと自分でもわかっていながらも、いくら
何度も、それこそ、何百回何千回何万回と、振り払おうとしてかなわず、
べっとりと全身全霊に張りつき、自己を内部から浸食し食い荒らし、
責め苛みながら、なお壮絶な勢いはまったく衰えず、止まない。


こんななかで、不安神経症の人は、毎日を必死に暮らしています。
その日その日を(なんとか無事に)送って(送ろうとして頑張って)います。 


こんなメチャクチャな内面の嵐を、不安神経症の人は、自分一人の胸に全部
おさめて生きているのです。


そこには、年齢と同じだけの苦しい年月が横たわっています。


しかし、
このような内実を、いくら切実にわかって欲しくても、誰に言えるでしょう?




まさに!この人は経験者だね。

本日も

じっと紛らわせてます。病院には行けません。何とか病院に行くことが今の目標です。ただ気を紛らわせることに集中してます。森田療法によるとこれはやってはいけないことで、ただあるがままに不安な感情をそのままにしておけなければならない、といことです。


まじ無理。


森田療法では不安な気持ちというのは、感情(気分)と言ってもいいですが、これは取り除けません。それを森田療法では、思うようにならない、これは自然な訳だから、取り除けないし、取り除きたい気持ちも、これもまた自然で、全て自然のありようです。不安な気持ちを取り除く、不安な気持ちが起きてくるのもしかし取り除きたいと思う気持ちも自然です。どちらも実は取り除けません。変えるのは行動ということになります。
行動だけが自分の意志の通りになる可能性があります。不安な気持ちが取り除けないと行動につながらないとお考えだけど、そういうふうに考えることをやめようという訳です。不安の気持ちを取り除けないと行動につながらない、そんなふうに考えるのをやめる。行動は不安な気持ちがあっても、取り除けなくても、取り除きたいという気持ちがあっても変えられるものだと。


私の場合、さっさと病院行けと。分かってる分かってるが、できない。ああ、電車か、乗れるのか。不安発作が。。とか考えてるちに時間が過ぎる。一日が終わる。今日もだ。
森田療法まじむずいっす。



私の主な症状としては強烈な不安感、嫌な記憶のループ、それによるえづきなどがあります。それが10数年です。


昔からバラエティ番組が好きで一番気が紛れるのですが、最近はakbやら乃木坂やらの番組も見てます。司会がバナナマンとかでおもろいです。なのでやたらと詳しくなってます。

しんどー

急にアクセス数が上がったなと思った方すみません。私のせいかもしれません。


神経症10数年やってるとその都度2ちゃんだったりミクシーだったりで同じく辛い思いをしてる方と交流してきました。何となくやめてって交流はまったくありませんが、あの人たちは今も苦しんでるのかそれとも克服したのか気になりますね。


自分の状態がしんどいと同じように苦しんでる人のブログを見て、ほら見ろこの人はこんなに頑張ってるんだぞと勇気を貰いますがツイッターでそれやっちゃ駄目ですね。鬱とかで検索するとリストカットの画像動画が出てきます。うわー!となりますね。怖い怖い怖い!ってなりますね。消えたいとかなくなりたいとかは分かりますがあの行為はまったく分からない。でもホラー映画やスプラッター映画は大好きです。何のこっちゃ分かりませんね。